青ヶ島訪問レポート

2017年12月15日

青ヶ島ブランケット

青ヶ島訪問レポート

 

2017年7月25日〜27日訪問

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今回は前回2014年の台風の最中の訪問とは違い、3日間とも天候に恵まれ、日常の島を垣間見たという感じがした。

しかし、島の人たちとは一定の距離感を感じ、前回薄い膜に感じたものがより厚い壁のように感じられた。土地に近づくということは、より相手との距離を感じることでもあるということを実感した。

一方で、島に対してのマレビトである旅行者や転勤してきた人たちとは行動が似通ることや、同じ宿の人に何度も会ったりすることがあり、島の狭さも感じた。

前回は台風襲来と重なったこともあり、その対応に追われる島の住人とは無関係に、私たちは勝手に島内を歩き回り、島の中にある因縁の強い場所に行き、ある意味での土地への執念とも言えるようなものを体感することが多かった。今回は荒井智史さんという、島に生活しているガイドによる案内があったおかげで、穏やかな島の顔を見ることが出来た。

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ある土地に長い期間生活し、そこに住み続けることのライトサイドとダークサイドを垣間見ることで、自らが足場としている江古田という土地も同じような側面があることにも気が付いた。普段、江古田で活動している時に気を遣う人間関係や、筋の通し方などが、同じように島にも存在していて、それはどの地域にもあることであることなのだということを知った。そこには簡単に踏み込めない領域があるということを改めて思い知らされた。

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江古田で行ってきた、食材を購入し、調理し、スープをみんなで囲むという状態を作るための要件は、都市生活の中でのいわば採集生活が基本となっている。しかし、青ヶ島でこれを行うとなると、まず参加者を募って集めるというよりは、島の住人である荒井さんに具体的な声掛けをしてもらう必要があった。また、採集(食材購入)も一軒しかない商店で行うしかない。このように江古田で行う際とは条件面がまったく異なっていた。参加を呼びかけやすい人たちは、事前に荒井さんから聞かされていた、島に最近住まうようになった人たちと、青ヶ島還住太鼓を習っている子供たち、その時たまたま島を訪れていた旅行者という顔ぶれだった。それ以外の島の人たちは、島を維持していく生活の時間があり、参加を呼びかけることを遠慮するべきだということを知ることできた。

 

島の恵みである「ひんぎゃの釜」(地熱を利用した屋外の調理釜)を使ってスープを作り、集まった人たちと話しながら食事をする機会が出来たことや、その後に荒井さんが用意してくれた太鼓をこどもたちや私たちとで代わる代わる叩いたりという、緩やかな時間の流れの中で集会を持てたことから、環住太鼓や牛祭りという地域の芸能を持つことの意味を少しだけつかめた気がする。コミュニティの中央に何をおくべきかと考えたとき、私たちの選択はスープだった。青ヶ島ではそれが牛であったり太鼓であったりとするのだろう。果たして、私たちが真ん中に置いたスープはコミュニティの核になるのか、そのことを改めて考える時間になった。

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誰かが何かを初め、それが続いていくことで起こること、大噴火で一度潰えた島が再生ではなく新生していく様、いつ終わりが来るかわからない生活においてさえも、繋げていくことを考えること。

ものごとの終わりと始まりの合わせ鏡のような世界の中で、誰かが何かを初め続けていくこと、それが人を繋いでいくことを感じ取った。森の中で焼け残った大杉、かつて使われていた炭焼き窯、神社の参道に詰んである玉石、島の空に響く還住太鼓。島のあらゆるものから、その繋ぎ方の難しさを知った。

 

青ヶ島の今には日本の少し先の未来の姿があった。

 

アシスタントディレクター 伊藤 馨